広仁苑
いせかたがみ[伊勢型紙]
伊勢型紙の歴史
伊勢型紙とは、江戸小紋などの型染めに用いる型紙のひとつ。和紙を柿渋で加工した「渋紙」に、様々な手彫りの技法で模様を彫り抜いて行く。
その起源は、神亀年間(七二四〜七二八・奈良時代)に「孫七」という人が型紙業を始めたとか、現在鈴鹿市寺家町にある子安観音寺の不断桜の虫食いを見て面白く思った久太夫という人物が虫食い葉を紙に当てて彫ったなど、いくつかの伝説・伝承がある。少なくとも室町時代末期(五百年ほど前)には、「白子型」と呼ばれるものがあり、型紙はこの時すでに全国的に流布していた。その後、江戸幕府による保護政策が型彫り・型売行商を飛躍的に発達させた。
職人の持つ小刀が、今日も伊勢型紙の伝統を刻んでいる。
伊勢型紙の技法と道具
渋紙を彫り抜く技法は大きく分けて、「突き彫り」「縞彫り/引き彫り」「道具彫り」「錐彫り」の4つがある。そしてそれぞれの技法に応じた道具があり、この道具をつくるところから伊勢型の柄づくりが始まると言っても過言ではない。
詳しくは右の写真をクリックしてください。
けまんふたつわり[毛万譜立割]
伊勢型紙を用いて染めた小紋(江戸小紋)では、縞のことを毛万筋[けまんすじ]と呼ぶ。その毛万筋には3cm幅にある縞の数(細さ)によってそれぞれ呼び名があり、最も太い縞(5本)を等分縞、最も細い縞(31本)を極々微塵縞、その極々微塵縞よりもほんのちょっとだけ太い縞(26本)のことを毛万譜立割と呼ぶ。
毛万筋の呼び名については以下の通り。
等分縞[とうぶんじま] …5本 毛 万[けまん] …20本
大名縞[だいみょうじま]…10本 極毛万[ごくけまん] …21本
万 筋[まんすじ] …12本 似多利[にたり] …22本
上 万[じょうまん] …14本 譜立割[ふたつわり] …23本
極 万[ごくまん] …16本 極譜立割[ごくふたつわり] …24本
間 万[あいまん] …18本 毛万譜立割[けまんふたつわり] …26本
並毛万[なみけまん] …19本 極々微塵縞[ごくごくみじんじま]…31本
モスリン[毛斯倫]
モスリン(mousseline)とはフランス語で、羊毛(ウール)などの単糸で平織した薄地の織物。生地が柔らかであたたかく滑りが良いことから、主に長襦袢や肩裏、腰紐などに用いられている。
イラクの都市モスールが主な産地だったことからその名が由来している。17世紀にヨーロッパに登場し、広く普及。もともとは綿織物だったが日本には毛織物として伝わったため、モスリンといえば羊毛100%のことを指すようになった。また日本では普段着のきものや長襦袢、半纏や軍服などに用いられ、戦前や戦後にかけてモスリン製造業は隆盛を誇ったが、化学繊維の登場により衰退の一途をたどる。
ちなみに写真のモスリンは、生地を強くするほか、さらに滑りを良くするために化学繊維を3%ほど含んでいる。
しなふ[科布]
「榀布」とも書き、科の木の樹皮を細く裂いて織り上げた布ことを言う。
初夏、梅雨の水をしっかり吸った樹皮を剥ぐ。外皮と内皮に分け、淡い茶色をした内皮だけを用いる(残った外皮などは乾燥させて冬の薪にする)。それを川に浸し汚れを落とし、柔らかくしてから一昼夜かけて灰汁煮きをする(この際用いる灰は、冬の間に囲炉裏やストーブで燃やした材木の灰)。続いて熱いうちに揉みほぐし、川に晒して灰を洗い流した後、糠水に2〜3日浸けて醗酵させることで漂白し、さらに川に晒して陰干ししておく。と、ここまでが夏の作業。そして雪が多くなる初冬から糸を紡ぐ(ここでは科積み[しなうみ]という)作業、織る作業と続き完成の運び。
一時は衰退しかけた科布も、山村における伝統技術の保存と普及の努力が実り、1970〜80年代になって山形県と新潟県の県境付近の山間部で復活の兆しが見え始め、現在は新潟県山北町の山熊田、雷[いかずち]、大代という村々、それに山形県関川などが主な産地として知られている。
みやこじょうふ[宮古上布]
夏織物の最高峰の1つ。
その名の通り沖縄は宮古島の生まれ。天然繊維中、最もシャリ感(涼感)と腰があり、絹のような光沢が特徴の芋麻[ちょま]が原料。刈り取った芋麻をアワビの殻を用いて細く細く裂き、それを紡いで(ここでは績む[うむ]という)糸ににする。それから糸に絣の柄付け、製織、洗濯、検査、洗濯というそれはそれは果てしない作業を繰り返して織り上がるという傑作。仕上げに松葉を煮出した液で煮沸したのち、サツマイモの澱粉粉で糊付けし、洗濯乾燥後に生地の巾を整えながら砧[きぬた]という小槌で打ち、水洗して糊を落とし、これを数回繰り返す。1978年(昭和53)に宮古上布保持団体が国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。